附属自然教育園について
概要

自然教育園は、大都市「東京」の中心部にあって今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な森林緑地です。
園内にはコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などがあります。このような自然を活かした植物園が整備されており、四季にわたって様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。
園内の植物には種名表示板や解説板が整備されており、自然を深く知ることができるように工夫されています。自然教育園では園内の自然を活用した様々な活動を行っています。入園者を対象に日曜観察会や自然史セミナーを開催しています。
さらに、児童・生徒・学生の校外学習にも利用されています。
自然に親しみ、四季折々に変化する生物の姿や風景に心をなごませ、自然と人間との関わりを考える場として自然教育園を大いに利用していただければ幸いです。
沿革
自然教育園は、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代から、人々が住んでいたと考えられています。
平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。
江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。
その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。
館跡付近の土塁
明治時代・火薬庫の頃(明治5年)保存活用計画
自然教育園は、旧武蔵野の自然景観を保つとともに、その生態系の学術的価値と、土塁・館跡などの史跡の歴史的意義から、1949年4月12日に「旧白金御料地」として、国の天然記念物及び史跡に指定されました。
将来にわたって、自然教育園の貴重な自然及び歴史遺産を適切に保存・活用し、次世代に継承していくため、中長期的な園の活動の指針として「保存活用計画」を策定しました。自然教育園では、この保存活用計画に基づき、活動に取り組んでまいります。
天然記念物及び史跡 旧白金御料地(国立科学博物館附属自然教育園)保存活用計画(2022年3月)(8.0 MB)
自然を守るための取組み
自然教育園は、都心にありながら、かつての里山の自然の面影が残る貴重な緑地です。その学術的な意義から、国の「天然記念物及び史跡」にも指定されています。
この場所には、長い年月をかけて育まれてきた、かけがえのない生態系が存在します。貴重な自然環境を未来へとつなぐため、当園では様々な取組みを実施しています。
